hatto

2026/09/15 10:46

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中学生の頃、
「なんか変」「ちょっと気持ち悪い」と感じた詩を
40代になった今、読み返しました。

作品は何も変わっていないのに
当時とは全然違うものが見えました。

その詩は、『I was born』。

たぶん、中学校の国語の授業で読んだ作品です。

「せつなげだね」だけ、妙に残っている

正直、当時どこまで内容を理解していたのかは
あまり覚えていません。

ただ、詩の中に出てくる
「せつなげだね」というセリフだけは
妙に記憶に残っています。

国語の先生が
そこをかなり感情を込めて音読していました。

中学生だったクラスのみんなは
それを面白がって笑ったり、
先生のモノマネをしたり。

最後には、先生のあだ名まで
「アイワズボーン」になりました。

だから私にとってこの詩は
名作として心に残った作品ではありません。

授業中のいろいろな出来事がくっついて
少し変な形で記憶に残っていました。

『I was born』は
父と子の会話を中心に進んでいく詩です。

タイトルにもなっている “I was born”。

日本語では「私は生まれた」と訳すけど
英語では受け身になっている。

「私は、生まれさせられた」。

子どもがそのことに気づき
そこから、生まれることや死ぬことへ
話が広がっていきます。

仏教を学んでいて、突然思い出した

最近、私は仏教に興味があって
本を読みながら自分なりに学んでいます。

その中に、「私」という存在も
無数の関係や条件によって
偶然、今ここに成立しているという考え方があります。

それについて考えていたとき

「そうか。自分の意思で生まれてくる人はいないんだ」

と、すっと腑に落ちました。

そのとき、
中学生の頃に読んだ『I was born』を
思い出したんです。

何十年も前に読んだ詩が
仏教について考えていたところから
突然出てきた。

せっかく思い出したので
改めて読んでみることにしました。

「これ、中学生には難しくない?」

読み直して最初に思ったのは

「これ、中学生が読むには難しくない?」

ということでした。

中学生の頃には見えていなかった
父と子の会話の背景。

この子のお母さんは
この少年を産んだあとに亡くなっています。

亡くなった人との関係や、お父さんの気持ち。

直接文字にされていないものが
会話の向こう側にいくつもあります。

中学生だった自分が
そこまで読み取っていたとは思えません。

でも今なら、
当時は見えなかったものが少しだけ見える。

ただ、40代になった今なら
全部理解できるかというと、
そんなこともありません。

今読んでも、わからないところは残っています。

作品は同じ。変わったのは、読む私

『I was born』という作品は
中学生の頃から何も変わっていません。

変わったのは、読む私のほうです。

中学生の頃には「なんか変」で
終わっていた作品から
今はまったく違うものを感じている。

何十年か生きて、
その間に見たり、考えたり、
知ったりしたものを持って、
同じ作品を読んでいる。

だから、昔とは違うところに
目が止まるのだと思います。

昔、教科書で読んだ作品を
大人になった今、あえて読み直してみる。

作品は同じなのに
読む自分によって見えるものが変わる。

そのことが、なんだか面白かったのです。