2026/07/28 16:08
心の安全基地という言葉との出会い
心の安全基地、という言葉があります。
不安な時や心配なことがある時でも、
ありのままの自分を受け入れてくれる存在
のことを指すそうです。
こういう存在があるから、
人はまた外の世界に出て、
何かに挑戦したり、
自分を出したりできるようになる。
そう言われています。
私たちhattoが掲げている
「家族の絆をより濃く、より強く」
という言葉の根っこにも、
家族や家という場所を心の安全基地にしたい、
という思いがあります。
今日はその心の安全基地について、
1年前に息子に起きた出来事と、
1年経った今の気持ちを書いてみようと思います。
入学5日目、大泣きして帰ってきた息子
去年の春、息子は小学1年生になりました。
家から学校までは20分ほどかかります。
登校はお隣の小学校4年生のお姉さんと
一緒に行かせてもらっていましたが、
下校は学童の集団下校でした。
集団下校といっても、同じ方向に帰る子たち
がゆるくまとまっているだけで、
途中で少しずつ人数が減っていきます。
曜日によっては7、8人いることもあれば、
新1年生2人だけになってしまう日もありました。
私は下校の方が心配で、
最初の2日間は学校の門まで迎えに行き、
少し後ろから見守るようにしていました。
3日目は学校から2、300メートルほど離れた場所で。
4日目はさらに先の公園で。
少しずつ迎えの場所を家に近づけていく、
というつもりでした。
そして5日目。
それまでで一番遠い、
家と学校のちょうど中間あたりで待っていると、
息子が大泣きしながら帰ってきました。
一緒にいた学童の上級生たちも、
なぜ泣いているのか分からない様子でした。
本人もひきつくように泣くばかりで、
しばらく話せませんでした。
落ち着いてから聞いてみると、
「急に寂しくなってしまった」ということでした。
次の日は、息子と相談して、
前日まで待っていた公園で待つことにしました。
そこまでなら一人でも帰れるから大丈夫、
という息子の言葉があったからです。
でも、その日も泣いて帰ってきました。
しかもその日は、
校門を出た時からずっと泣いていたそうです。
理由を聞いても、本人にも分からない。
ただ涙が出てしまう、と。
「見守る」を一歩踏み込んで考えてみる
学校生活自体は、
楽しんでいるように見えていました。
学校に行きたいとも言うし、
お友達の話もしてくれます。
頑張らなければいけないことがあるのも
理解した上で、頑張ろうとしている姿もありました。
だから、何か
嫌なことがあったわけではなさそうでした。
ではなぜ泣いてしまうのか、
考えてみました。
たぶん、頑張りたい気持ちと、
不安な気持ちが、
せめぎ合っている状態だったのだと思います。
その間を行ったり来たりしながら、
心が揺れていたのではないかと。
入学してからの数日間、
気を張って頑張っていたものが、
ある時ふと限界を超えて、
涙になって出てきたのかもしれません。
言葉にできない気持ちを、
体が涙という形で表していたのだとしたら、
体の方が自分に正直なのだと思います。
親としてどうしたらいいのか、
考えました。
答えは、見守ることしかない、
というものでした。
見守るという言葉を辞書で引くと、
注意しながら見る、
というような説明が出てきます。
でも私はもう一歩踏み込んだ見守りを
したいと思いました。
頑張りたいけど不安、
という気持ちを100%理解してあげることは、
たぶん難しい。
それでも、その気持ちを
一緒に感じながらそばにいることはできるはずです。
不安に飲み込まれそうな時、
すぐ隣にいて、
すぐ手を差し伸べられる状態でいたい。
そう思いました。
その環境こそが、
心の安全基地や、心の土台になっていくのではないか。
あの時、そう感じました。
あれから1年、正解は今もわからないけど
それから1年が経ちました。
正直に言うと、
あの時の見守り方が良かったのかどうか、
どういう結果につながったのか、
今もよく分かっていません。
ただ、状況は変わりました。
秋になって、
近所の仲良しの友だちが
学童をやめてしまいました。
それを機に、集団下校で帰ること自体をやめました。
今は毎日、私が迎えに行っています。
これも、息子自身が望んだことでした。
言葉にできることが増えても、寄り添い方は変わらない
心の安全基地の考え方自体は、
1年経った今も、根本的には変わっていません。
息子は少しずつ言葉にする力がついてきて、
1年前より自分の気持ちを話せることは
増えたと思います。
それでも、まだ
自分の気持ちに気づけないことや、
言葉にできないことは多いはず。
だとすれば、
これからも変わらずできることは、
すぐ手を差し伸べられる状態で、
そばに寄り添っていることなのだと思います。
答え合わせのできない子育ての中で、
それでも隣にいることだけは
続けていけたらと思います。

