hatto

2026/07/23 10:00

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「自然遊び」に家族で参加した日

学校からのお便りで、このイベントのことを知りました。
地域の団体が主催していて
自然について知る、学ぶ、
そんなワークショップのような時間でした。

当日は、いくつかのことをしました。
植物の種がどうやって飛んでいくのかを、
紙を使って作って、実際に飛ばしてみたり。

白い小さなフレームを持って外に出て、
そこから景色を切り取ってみたり。
動植物が描かれたカードを使ったゲームもありました。

こう並べてみると、いろんな体験ができて、
なかなか充実した時間だったように見えます。
実際、子どもたちも楽しそうにしていました。

「どしどし」という答え

その中で、今も心に残っている場面があります。

「雨の音を聞いてみよう」という時間がありました。
主催の方が、子どもたちに「どんな音がする?」と尋ねる。

子どもたちの中から出てきた答えは、
「どしどし」でした。

私は、それを聞いて、
おもしろいなと思いました。

ザーザーやシトシトとは違う、
その子なりの聞こえ方だったんだと思います。

でも、主催の方の反応は違いました。
「えー、そんなふうに聞こえる?」と、
やんわり否定するような言葉が返ってきました。

それでも子どもが「どしどし」と繰り返すと、
最後はそのまま流されてしまいました。

その場面を見ていて、私の中に、
小さな引っかかりが残りました。

引っかかった、その理由

なぜ、あの場面がこんなに心に残っているんだろう、
と考えてみました。

同じような感覚は、種の工作のときにもありました。
親も一緒に作るのですが、私たちのやり方にも指導が入ります。

私は、子どもの様子を見ながら、
必要なところで手を止めていたつもりでした。
でも、たぶん、全員が上手に完成させることが、
目指されていたゴールだったんだと思います。

正解があること自体は、
悪いことではないのかもしれません。

教えるという場では、
ある程度の型が必要な場面もあるんだろうと思います。

ただ、その正解からはみ出した反応が、
あっさり無かったことにされてしまうのは、
少し違うんじゃないかと感じました。

「どしどし」という言葉には、
その子なりの感じ方が確かにあったはずなのに、
それが受け止められないまま終わってしまったことが、
ずっと引っかかっていたんだと思います。

私が本当は大事にしたいこと

この出来事を通して、改めて気づいたこと。

私は、子どもが感じたことを、
そのまま受け止めたいと思っているんだと思います。

正解かどうかより、その子から出てきた言葉や反応を、
まずはそのまま聞きたい。

「どしどし」でもいいじゃないか、
と思えるような場所を、大事にしたいんだと思います。

もちろん、これは簡単なことではない気もします。

教える立場に立てば、
つい「こうであってほしい」という気持ちが出てくるのも、
わからなくはありません。

私自身、日々の中で、
同じようなことをしてしまっている瞬間が
あると思います。

それでも、あの日の「どしどし」を思い出すたびに、
自分はどうありたいかを、
少し考え直すきっかけになっています。

雨の音は、きっと、
聞く人の数だけ聞こえ方があると思います。
そのことを、これからも忘れずにいたいなと思っています。