2026/06/15 17:13
「それは親のエゴだ」と言われた
メモリアルボックスの使い方のひとつとして、
お子さんが成人したときにプレゼントする
という提案をリールにしたときのことです。
へその緒やおくるみ、
赤ちゃんの頃の小さな記憶をまとめた箱を、
大人になったわが子へ渡す。
そういう場面を想像して作ったリールでした。
そこに、こんなコメントが付きました。
「それって親のエゴじゃないですか」と。
最初はひるみました。
そうか、エゴなのか、と。
でもそこから、ずっと考えてきました。
子どものためを思うことは、全部エゴかもしれない
考えれば考えるほど、
そう思うようになりました。
勉強をきっちりさせるのか、
のびのび遊ばせるのか。
厳しくしつけるのか、
叱らない育児を選ぶのか。
習い事をさせるのか、
させないのか。
ほとんどの親御さんは
「この子のために」
と思って選んでいるはずです。
でも、それが本当に
その子のためになるかどうかは、
やってみるまでわからない。
うちの息子が
サッカーをしていた時期のことを
思い出します。
サッカーが彼の人生を
豊かにするかもしれない。
逆に、いやな思い出になるかもしれない。
塾に通わせたら自信がつくかもしれないし、
うまくいかなくて自己否定の
きっかけになるかもしれない。
そんな未来、誰にもわからないから、
親は「これがきっとこの子のためになる」
という自分の判断でしか動けない。
そういう意味では、
ぜんぶがエゴなんだと思います。
エゴであることと、悪いことは、別の話
でも、エゴであることが即、
悪いことだとは思えない。
私が一番気をつけなきゃいけない
と思っているのは、
「子どものため」という言葉の裏に、
こっそり「自分のため」が隠れていないかどうか、
ということです。
自分がやりたかったけど
できなかった習い事を子どもにさせていないか。
ちゃんとした親に見られたくて、
何かを子どもに課していないか。
自分の叶えられなかった夢を、
そっと子どもに預けていないか。
そういうことは、
正直に点検する必要があると思っています。
ただ、出発点がたとえ
親の見栄や後悔だったとしても、
それが全否定されるべきかというと、
そうとも限らない気がする。
大事なのはその先で、
子どもの様子をよく見て、
舵を切れるかどうか。
選んだことが裏目に出たとき、
それに気づいて方向を変えられるかどうか。
親の思いと子どもの現実を、何度もすり合わせながら
育児というのは、
親の思いと子どもの現実を、
何度も何度もすり合わせていく作業なんだと思います。
最初の選択が正しいかどうかより、
その後どう動けるかの方が、
ずっと大事かもしれない。
「親のエゴ」という言葉には、
どこか糾弾するような響きがある。
でも私は今、エゴを持つこと自体は、
子どもを思うということの
自然な形なんじゃないかと感じています。
大切なのは、
エゴを持たないことではなく、
エゴを持ちながら、
ちゃんと子どもを見続けることなのかもしれない。

