2026/06/03 08:32
ペダルを踏むたびに、風が耳を抜けていく。
毎朝の自転車通勤は、
距離にして数キロ、時間にして15分ほど。
たいしたことのない移動のはずなのに、
アトリエに着いたときの頭の軽さが、
ここ数ヶ月でずいぶん違ってきました。
何かを「やった」感じじゃなくて、
余分なものが静かに落ちていった感じ。
それが、動くマインドフルネスとの出会いでした。
「座って目を閉じる」だけじゃない
マインドフルネスといえば、
静かな部屋でゆったりと座り、
目を閉じて呼吸に意識を向けるもの
——そんなイメージが強いと思います。
私もそれは知っていたし、
自分にとって必要だとも感じていました。
放っておくと、
頭の中はいつもざわざわしていて、
やることとか、気になることとか、
漠然とした不安とかが、
ぐるぐると渦巻いているから。
でも続きませんでした。
「何もしない時間をつくる」ということ自体が、
ハードルになってしまって。
そんなとき偶然知ったのが、
マインドフルイーティングという方法。
食べるときに、その味や食感や香りを
実況中継するように意識する、という練習。
食べることでできるなら、それ以外でもできるはず。
そう思って試したのが、毎日の自転車でした。
五感を実況中継しながら走る
やることはシンプル。
走りながら、目に見えるもの、
肌に感じるもの、耳に届く音を、
頭の中でただ言葉にしていく。
「街路樹の葉が風で揺れている」
「アスファルトが少し濡れている」
「遠くで踏切の音がする」
特別な技術はいらない。
ただ、感覚に注意を向けつづけるだけ。
最初にやってみたとき、
アトリエに着いたとき頭がすっきりしていて、
少し驚きました。
朝のあのざわつきが、
自転車の15分できれいに薄れていたんです。
それからすっかりはまってしまって、
今では毎日のルーティンになっています。
最近は「今日のテーマ」を
ひとつ決めてから走ることも。
植物の日は、
道路沿いの庭木や、
塀の隙間から顔を出している草花が
急に目に入ってくる。
建物の日は、
見慣れたはずの通り道が、
なんだか初めて歩く街みたいに感じる。
縛りをつくると、意識がそこに集まって、
気づいたら今のことしか考えていない。
大学時代の銀河鉄道のこと
動くマインドフルネスを続けるうちに、
ふと思い出したことがあります。
大学生のころ、
通学に1時間ほど電車に乗っていた時期のこと。
帰り道はいつも疲れていて、
本を読む気にもなれなかった。
そういうとき、目をつむって、
電車の揺れに集中することがありました。
車両がガタガタと揺れる感覚、
橋に差しかかったときの微妙な浮遊感。
そこで私は、電車が銀河鉄道になる妄想をしていました。
橋の継ぎ目でふっと乗り心地が変わる瞬間、
「いま離陸した」と思う。
その感覚がなんだか好きでした。
あれも、
動くマインドフルネスだったんだと思います。
当時はそんな言葉は知らなかったけど、
身体の感覚に意識を向けて、
今この瞬間の中に遊んでいた。
子どものころから空想の世界に行くのが好きで、
それがあの電車の中では
「今ここ」と溶けあっていたのかもしれません。
「今に集中する」ことの、おかしくて切実な話
こうして振り返ると、
ちょっとおかしいとも思います。
「今ここにいる」というただそれだけのことに、
こんなに試行錯誤が必要だなんて。
テーマを決めて、
実況中継して、
自転車に乗って、
それでやっと今にいられる。
でも、そういうものなのかもしれません。
頭の中は放っておくと
勝手にどこかへ行ってしまうから、
道具や仕掛けを使って引き戻す。
それが習慣になったとき、
道具の存在を忘れるくらい自然になっていく。
今日も朝、自転車に乗る。
今日のテーマは、まだ決めていない。
走りながら、決める。

