2026/05/26 12:55
正解をもらうより、正解を見つけたい
時計は、針が動くほうが好きです。
理由はうまく言えないけど、
「いまが何時か」を読み取る、
あの少しだけ頭を使う感じが、
なんとなく心地よいのかもしれません。
アナログとデジタル。
どちらが好きですか、という問いは、
ジャンルの数だけ答えがある。
本を紙で読むか画面で読むか、
文章を手書きにするかキーボードで打つか。
音声入力はどっちに分類されるんだろう、
なんてことも、ちらっと考えたりします。
どちらにも良さがあって、
どちらかが正解というわけじゃない。
そう思っていたのに、
息子の将棋を見ていたら、
ちょっとだけ考えが変わりました。
詰め将棋アプリが、ただのゲームになっていた
小2の息子が、将棋をやっています。
私自身は、コマの動かし方を
なんとなく知っている程度で、
教えてあげられるような腕前ではまったくない。
そのくらいの実力です。
それでも息子はコツコツと続けていて、
最近は詰め将棋を毎日やるようになりました。
詰め将棋は、パズルに近い感覚のもので、
決まった手順で相手の王将を詰める、
正解のある問題を解いていくもの。
一手詰めから始まって、最近は三手詰めに挑戦しています。
最初はアプリで取り組んでいました。
問題が出て、コマを置いて、
正解か不正解かがすぐわかる。
子どもにとって、とっつきやすい形だなと思っていました。
でも、三手詰めになったあたりから、
なんだか様子がおかしい。
息子のやり方をそっと後ろから見ていたら、
あまり考えていないんですよね。
一手打ってみて、違ったら隣のマスに置いてみる。
それも違ったらさらに隣へ。
何回か繰り返してたまたま正解が出たら、
それで満足している。
「なぜこの手が正解なのか」は、理解できていない。
アプリに「正解です」と言わせることが、
いつの間にかゲームになっていたんだと思います。
アナログの盤に替えたら、息子の顔が変わった
どうしたものかな、と思いながら、
試しにアナログの将棋盤でやってみることにしました。
問題の内容もレベルも一緒。
変えたのは、画面かリアルか、ただそれだけ。
でも盤の前に座った息子の顔が、明らかに違いました。
じっと見ている。
黙って、コマを触らずに、盤全体を眺めている。
その時間が、アプリのときとは全然違う。
上達の速さも、目に見えて変わりました。
正解にたどり着く「過程」ごと、
遊びのなかに入ってきた感じ。
脳みその使っている場所が、少しだけ違うのかもしれません。
感覚として身につけるために
もちろん、アプリが悪いわけじゃないと思っています。
一手詰めのうちは、
アプリで問題をたくさん解くのも楽しかったし、
それなりに役立っていたとも思う。
ただ、自分のものにするための最初の一歩は、
やっぱりアナログの方が向いているのかもしれない。
特に子どもの場合は。
手でコマを動かして、
間違えたら自分で戻して、
もう一度盤全体を眺め直す。
そういう身体ごと使う感覚が、
「わかる」という感覚に
つながっていくんじゃないかな、と。
三手詰めのコツが身についてきたら、
またアプリに戻っていいかもしれません。
でも最初の「わかった」は、画面の前じゃなく、盤の前で生まれた。
おわりに
答えが正しいかどうかより、
なぜそれが正しいのかを自分の力で見つけること。
将棋盤という小さな四角の中で、
息子はそのことを、静かに練習しているようです。
正解をもらうより、正解を見つける方が、
時間はかかるけれど、ずっと遠くまで行けるんじゃないか。
そんなことを、コマを並べる息子の横顔を見ながら、
ぼんやり考えていました。

