2026/04/07 11:56
「インプットはアウトプット前提で」とよく言われます。
私もそう実践してきました。
でもあるとき、
自分がただの「通路」になっている気がして、
すごく居心地が悪くなりました。
知識を咀嚼して、器に貯めて、熟成させること。
そこに立ち返りたいと思っています。
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知識を、まだ自分のものにしていなかった
なにかを聞きながら、すでに
「これ、どう説明しようかな」と考えはじめていました。
人に教えるにはその10倍の知識が必要だ、
という話があります。
確かにそのとおりで、
なんとなく知っていることも、
いざ誰かに伝えようとすると言葉がうまく出てきません。
だからインプットの段階から、
アウトプットを前提に学ぶといい、
と言われます。
私もそれを実践してきました。
動画を見るとき、音声を聞くとき、本を読むとき。
どこかで発信することを想定しながら、
情報を受け取っていました。
それが癖みたいになっていて、意識しなくても
「これは誰かにどう伝えようか」という思考が、
自動的に動いてしまうようになっていました。
でも今、そのやり方をやめたいと思っています。
居心地の悪さの、正体
なぜやめたいのか、自分でも少し考えてみました。
一番しっくりくる言葉は、
「通路になっている感じ」でした。
本で読んだこと、動画で見たこと。
それを自分なりの言い回しに変えて、
体験を少し混ぜて、誰かに届けようとする。
工夫はしています。
でも、その知識が自分の中に
本当に根を張る前に、
外へ出ていってしまっている感覚があります。
咀嚼する前に、
もう次の人に渡そうとしています。
上辺だけを、横流ししているような感覚です。
「どうすれば上手く説明できるか」
が主役になってしまっていて、
「これはどういうことなのか」
を深く理解する機会を、
逃しているような気がしています。
「コンテンツ」と
「受け取ってくれる誰か」
のあいだの、ただの中継地点。
自分がそうなっていることに、
あるとき急に気づいて、
ものすごく居心地が悪くなりました。
通路じゃなくて、器になりたい
じゃあどうしようか、
と思って出てきた言葉は「器」。
通路は、ものが通り抜けるだけ。
でも器は、ためることができます。
時間をかけて、知識を自分の中にためて、
発酵させて、熟成させてから、はじめて外に出す。
時間はかかります。
すぐには話せないかもしれません。
でも、それでいいんじゃないかと
今は思っています。
ただ、癖というのはなかなか手強くて
情報を受け取りながら
「これをどう伝えようか」
と考えてしまうことがまだまだあります。
その思考回路をどうほぐしていくか、
正直まだわかりません。
やりながら、考えながら、
少しずつ変えていくしかないと思っています。
熟成されたものだけが、本当に自分のことばになる
知識を「持っている」ことと、
知識が「自分のものになっている」こととは、
たぶん全然ちがいます。
前者は通過点で、
後者はどこか時間のかかる発酵みたいなもの。
急いで外に出したものは、
まだ生乾きで、自分の匂いがしません。
でも、ゆっくりと内側で熟したものは、
話したとき、なんとなく体温があります。
急がなくていい、とようやく思えてきました。
理解が追いつくのをちゃんと待ってあげることも、
きっとインプットのうちのひとつなのだと思いながら。

