hatto

2026/03/17 10:02

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やって後悔する方が、ずっと重かった

「やらない後悔よりやる後悔」
という言葉があります。

誰もが一度は耳にしたことがある言葉。
挑戦しないまま後悔するより、
行動して失敗した方が学びがある、
だから悔いが残らない、という意味の言葉ですよね。

正論だと思います。
その通りだとも思います。

でも私は長い間、この言葉が
どうにも自分には合わないと感じていました。

やらなかったことより、
やってしまったことの方がずっと尾を引く。

「あんなことしなければよかった」
「あんなこと言わなければよかった」

そういう後悔の方が、
私の中ではずっと大きくて、
ずっと重くて、
ずっと長く続いていました。

夫を見ていて、引っかかったこと

私の夫は、この言葉を
ごく自然に体現しています。

やって失敗しても、
それはもう次につながる材料だから、
そもそも失敗じゃない。

そういう考えが体に馴染んでいて、
不思議なくらいさらっとしています。

じゃあ私と夫は、いったい何が違うんだろう。

しばらく考えていて、
ある日気づいたことがありました。

「やる」という判断を、
どこを基準にして下しているか、
という差なんじゃないかと。

ものすごくシンプルに言うと、
それは自分軸か他人軸か、という話でした。

判断の根っこが「外」にあると、責任が持てない

夫は自分軸で動く人なので、
考えて、判断して、やる、
という一連の流れが
全部自分の中で完結しています。

だから失敗しても、
その判断の主語がちゃんと自分にある。
責任を引き取れる。
そこから考えられる。

私はずっと、他人軸だったんです。

「これをやったら、周りにどう思われるか」
「こうしたら、不親切だと思われないか」

やるやらないの判断基準が、
自分の外にある誰かの目線でした。

だから、その判断が失敗に終わったとき、
自分の中で責任を持てない。

頭では失敗だとわかるのに、
なぜ失敗だったのかまで考えが届かないんです。

残るのは感情だけです。
やらなければよかった、
という後悔の感情だけが、出てきてしまう。

たぶん深いところで、
「自分の判断じゃないから、自分のせいじゃない」
と思っているから、
そこから先へ思考が進まない。

でもやってしまったことだけは、
ちゃんと残っている。
それが、あの重たい後悔になっていたのかもしれません。

ようやく、スタート地点に立てるのかも

ここまで考えてみて、
「やらない後悔よりやる後悔」
という言葉の本質が、
はじめて少しわかったような気がしています。

この言葉はきっと、
行動そのものをすすめているんじゃなくて、
自分の判断に責任を持って動いている人にこそ
機能する言葉だったんじゃないかと思います。

だからといって、すぐに自分軸で
生きられるようになわけではありません。

長い間染み込んできた癖は、
そんなに簡単には抜けないですよね。

でも、気づくことがまずはじまりで、
私はどうやらやっとそのはじまりに立てたらしい。
遅いけど、遅いなりに、ここからです。

後悔の根っこを掘ってみると、
自分がどこを向いて生きていたかが、
案外はっきり見えてくるものですね。