2026/03/03 15:06
「続けること」の重みと、募る違和感
「続けることに意味がある」
と自分に言い聞かせて、
少し苦しくなってしまったことはないでしょうか。
継続することで見えてくる景色がある。
それもきっと事実。
でもその一方で、
継続そのものが目的になってしまう瞬間もある。
私はその二つの間で、長いあいだ揺れていました。
今日は、私が毎週続けていた
インスタライブをやめるまでの話を書いてみます。
感情の波の先に見つけた、自分なりの「やめどき」
私は昨年10月から、
毎週木曜夜9時にインスタライブをしていました。
10月、11月、12月、1月と、4か月間続けました。
そして1月の終わりに、
このライブをやめることを決めました。
正直に言うと、
始めた頃から少ししんどさはありました。
夜9時という時間は家族の協力も必要になります。
アトリエに遅くまでいることで
生活リズムが崩れることもありました。
思ったように見に来てもらえない日もありました。
アーカイブの再生数を見て、
にため息をついたこともあります。
ただ、それらは「感情の揺れ」のようにも思えていました。
感情は波があるもの。
その波だけを理由に
やめると決めるのは違う気がしていました。
だから私は
「明確な理由が見つかったときがやめどき」と、
自分の中で決めていました。
手段が目的を追い越してしまった瞬間
ライブを始めた目的ははっきりしていました。
フィード投稿やリールでは
伝えきれないことを伝えるためでした。
写真や動画、整えた文章では
収まりきらない部分を、
リアルタイムで届けたいと思ったのです。
でも続ける中で、
どこかしっくりこない感覚が消えませんでした。
小さな工夫もしました。
テーマを変えてみたり、
話し方を意識したりもしました。
それでも、心の奥の違和感は残ったままでした。
あるとき、ようやくその理由が言葉になりました。
ライブのほうが、
投稿よりも伝えられていないと感じていたんです。
これまで私は、
写真を丁寧に撮り、動画を撮影し、編集し、
言葉を何度も選び直して投稿してきました。
その積み重ねのほうが、
hattoのことをより正確に伝えられていると感じていました。
ライブは
「投稿では伝えきれないことを伝えるため」
に始めたはずでした。
それなのに、結果として
投稿よりも質が落ちていると感じていたんです。
「表現の質」という、譲れない自分自身の基準
しっくりこなかった理由。
しんどさの正体。
そのどちらも、
「自分が納得できる表現の質に届いていない」
という点に集約されていました。
私はずっと、
感情に振り回されない理由を探していました。
その答えは、数字でも時間の問題でもなく、
「表現の質」という自分なりの基準でした。
継続することで見えるものは確かにあります。
続けなければ見えなかった景色も、
今回たくさんありました。
ライブをやってみたからこそ、
自分に合う伝え方がよりはっきりしました。
続けたこと自体は、
無駄ではなかったと感じています。
ただ、見えてきたものが
自分の目的とずれていたらどうだろう。
そのまま続けることが
正解とは限らないのかもしれない。
そんなふうに思うようになりました。
手放したことで、かえって鮮明になったもの
何かを続けていると、
その行為そのものに集中しすぎて、
最初の目的が少しずつぼやけることがあります。
手段がいつのまにか目的になっている。
そんな状態に気づきにくくなる瞬間が
あるのだと思います。
今回ライブをやめたことで、
逆に見えてきたものがあります。
私は何を丁寧に伝えたいのか。
どんな形なら、自分が納得できるのか。
それが以前よりもくっきりと輪郭を持ちました。
だから今は、ライブに使っていたエネルギーを
別の形に注いでみようと思っています。
同じ目的のまま、手段を変えてみる。
そんな選択です。
継続は正義なのか。
私にとっては、続けることもやめることも、
どちらも同じくらい意味のある行為でした。
やめる理由が言語化できたとき、
ようやく自分の中で納得できました。
それは気持ちが整理されたような感覚です。

