hatto

2025/12/17 16:33

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孤独と読書の関係―太宰治の言葉から考える

「本を読まないということは、その人は孤独ではないという証拠である」

太宰治のこの言葉を初めて目にしたのは、雑誌かなにかでした。
何気なく読んだ瞬間、「ん?」となりました。

どういう意味だろうと、もう一回読み返してみました。
表面上の意味は理解できても、結局どういうことなんだろう、と
その場で何回も何回も読見返して、考えた記憶があります。

変わっていった解釈

最近この言葉を久しぶりに目にしたとき
「読書というのは本の世界に没頭する、ある意味孤独な時間である」
というふうに解釈しました。

でも初めてこの言葉に出会ったときの私の解釈は
全く違うものでした。 むしろ真逆に近い感じ。

当時の私は、
「孤独に生きている人でも、本を読む時間だけはその世界に入ることができて、孤独ではなくなる」と解釈していたんです。

そんなことを思い出して、
短い文章なのに、いろんな捉え方ができるんだなぁと思った私は、
他にはどんな考え方があるのか気になって調べてみました。

そうしたら、「孤独な人間は読書を強みにして生きていく」とか、
「孤独な人間は本を逃げ場にしている」などなど色々と出てきました。

中には、「本を読まなくても人生を楽しんでいる人たちへの妬みが感じられる」と解釈している人もいるようでした。

言葉の持つ力

この文章そのものが持つパワーは、すごく強いものがあると思います。
それに加えて、太宰治という人が書いたということで、
また違う解釈が生まれているんだなと思います。 

もしかしたら自分が置かれている状況によって、
この文章の捉え方が変わっていくのかもしれません。

私がこの言葉を初めて知ったときは、
結構たくさん本を読んでいる時期でした。

もしかしたら、実は孤独を感じていたのかもしれません。

言葉と向き合う時間

正解なんてないのだと思います。
時間が経って、環境が変わって、自分自身が変わっていく中で、
同じ言葉から受け取るものが変わっていく。
それが自然なことなのだと思います。

たった一行の言葉が、
こんなに多くのことを考えさせてくれる。

そういう言葉に出会えることは
やっぱりおもしろいなと思います。