2025/12/10 16:37
私は感情に左右されやすいタイプで、
気分の浮き沈みで行動も変わってしまうことが多いです。
それってすごく不自由なことだなと、感じます。
「自分に素直に」の本当の意味
よく「自分に素直に生きる」とか
「他人軸じゃなくて自分軸で」という言葉を聞きますよね。
自分の気持ちを押し殺さずに、好きなことを好きなようにやってみる。
そういう生き方にすごく憧れていて、
私もそんな風に生きられたらいいなぁと思っていました。
でも同時に、「自分に素直に」というのは「我慢しない」ということで、
それって頑張ってないことにならないのかなと、
頭の中でぐるぐると考えてしまうことがあります。
でも最近気づいたのは、「自分に素直に」の「自分」が、
いつの間にか「自分の感情」になっていたということでした。
感情は移ろいゆくもの
感情って、時間や環境によって浮かんでは消えていくものですよね。
さっきまであんなに強く思っていたのに、
時間が経ったら嘘のようになくなっていたり、
全く別の感情が湧いてきたり。
例えば、やらなければいけないことがあるとき。
「あー、なんか疲れたな。今日はもうやりたくないな」
という感情が湧いてきて、その感情に従ってやめてしまう。
そうすると、その感情がどこかに消えてしまった後に、
「なんでやらなかったんだろう。やらなければいけなかったのに
サボってしまった。私はダメなやつだ」と、
自分を責める別の感情が出てきてしまうんです。
これが、「感情に行動が選ばされている」状態なのかなと思いました。
感情に行動を選ばせていると、
その感情がさらに別の感情を呼んで、大きく沈み込んでしまう。
とても窮屈な感じがします。
物理的に「できる・できない」で考えてみる
じゃあ、感情じゃなくて何で行動を選ぼうかと考えたとき、
もうちょっと物理的なところから考えてもいいのかなと思いました。
「やりたい・やりたくない」という感情じゃなくて、
「これはできるのか、できないのか」。
さっきの例で言うと、疲れたなぁもうやりたくないなぁ
という感情が出てきたとき、
「でも、これくらいの疲れだったら頑張ればできるのか」
「いや、ちょっともう今日はしんどすぎてできそうにないのか」
もし本当に体がしんどくて、
取り組みたいことのクオリティが下がってしまうなら、
それは物理的にできないってことですよね。
「やりたい・やりたくない」じゃなくて、
「できる・できない」で決める。
そう考えると、ちょっとシンプルになる気がしています。
やる気は後からついてくる
よく「やる気は待っていても起きない」と言われますよね。
やる気は、とりあえずちょっと何かをやって、
そこでやっと芽生えるもの。
感情では「やりたくない」だったとしても、
物理的に「できる」だったらやってしまう。
その時はしんどいなと思いながらやったとしても、
後になって「あの時の私、これやっといてくれてありがとう」
と思うことって、きっと皆さんにもあるんじゃないでしょうか。
そうすると気分もすごくいいし、
「私、できた」っていう感覚が残ります。
「私はサボってしまうダメなやつだな」という
自分を責める感情じゃなくて、
できたことに対して自分を肯定できる感情が後から湧いてくる。
そうすると、感情に左右されることや、
感情に支配されることが起こりにくくなるような気がしています。

