2025/12/03 11:44
■感情と意志は別物である、という気づき
最近、文筆家の土門蘭さんのVoicyを聞いていて、
ハッとしたことがあります。
それは「感情と意志は分けて考えないといけない」という言葉。
それまで私の中で、感情と意志ってなんとなく
地続きなイメージがありました。
でもよく考えてみると、確かに別物なのかもしれない。
そんなふうに感じます。
■曖昧で、制御できないもの
感情は、浮かんでは消えていく、とても曖昧なもの。
自分では制御できないし、なんでこんな気持ちになるんだろうと
正体がわからないこともよくあります。
なんで私は今こんなにモヤモヤしてるんだろう、とか。
なんで今こんなに悲しい気持ちなんだろう、とか。
私は今まで、そういう感情を無視する癖がありました。
嫌なことに目を向けると、もっとしんどくなるかもしれないから。
だからちょっと心に引っかかったことは、
気づかないふりをして放置してしまう。
または無理やり違うことをして目をそらす。
でも無視したところで、なくなるわけじゃないんですよね。
むしろ消化されずに、どこかに溜まっていく。
最近はそんなふうに感じています。
■感情を観察してみると見えてくるもの
少し前から、「自分の感情に耳を傾ける」ということを
少しずつ意識するようになりました。
ちょっとモヤっとすることがあったら、
その感情をよく観察してみる。
そうすると、その正体がわかって意外とすっきりすることがあります。
最近の話だと、
大人の女性の間でちょっとしたブームになっている「シール交換」
このシール交換ブーム、私は結構心がざわついていました。
最初は、何でかわからない。
ざわついてることにすら気づいていなかったくらいです。
でもSNSでそういう投稿を見かけるたびに
なんかちょっとざわっとする。
その感情にスポットを当てて、よく考えてみました。
そうしたら、たぶんこれは
私の幼少期の経験から来ているということがわかりました。
■幼い頃のシール交換の記憶
私が幼稚園から小学校くらいの頃にも
シール交換ブームがありました。
キラキラしたシールとか、ぷくぷくしたシールを
女の子たちが集めて、交換しあう。
でも私は、その輪の中には入っていませんでした。
うちはとても貧乏だったので、「交換するだけ」の
なんの役にも立たないシールに使うお金がなかった。
シールくらい買うお金はあったはずですが、
親がそこに使う気がなかった、という方が正しいかも。
もう一つは、うちの両親は田舎から出てきていて、
近くに知人や友人が少なかったこと。
母にはママ友もいなかったと思います。
だから、かわいいシールたちがどこに売っているのか、
どうやったら手に入るのか、という情報がそもそもありませんでした。
私自身も積極的な子どもじゃなかったので、
そういうことを気軽に友達に聞くこともできませんでした。
そんな記憶、本当は忘れていたはず。
全然記憶になかったはずなんです。
でも今回のシール交換ブームによって
たぶんどこかに眠っていた記憶が
ちょっと揺さぶられたんだと思います。
それがチクチク、ざわざわしてしまう理由だったんです。
■理由がわかると、意志に目を向けられる
こんなふうに、ちょっとした心のざわつきを考えてみると、
理由があったんだってわかることがあります。
意味もなく悲しい気持ちになっているわけじゃなくて、
ちゃんと要因があったんだな、 理由があったんだなって。
それがわかると、
「それはそれとして、で、自分はどうしたいんだっけ」と
意志の方に目を向けられる気がします。
私は自分の感情にすごく鈍感、
というか自分の感情を察知することが下手だと思います。
でもこうやって、一つ一つ丁寧に耳を傾けるように、
感情をよく観察するっていうことを続けていたら、
「なぜかわからないけど落ち込む」
みたいなことが減るんじゃないかなぁと思ったりしています。
■2026年に向けて
もう12月に入って、
そろそろ2026年の目標を考える時期になりました。
今回は1ヶ月かけて、じっくり考えたいと思っています。
「私は何をしたいのか」
感情ではなく意志に目を向けて
ちゃんと考えたいなと思っています。

