2025/11/26 19:15
自分を中心に戻す日々の試み
最近、なんとなく居心地の悪さを感じることがあります。
自分の中にあるいろんな役割の境界線が
曖昧になっているからかな、と最初は思っていました。
母としての自分、妻としての自分、
仕事としてのhattoの活動、そして自分自身。
いろんな役割が混ざり合っているから
居心地が悪いのかなと。
でも、時間をかけて深く考えてみると、
どうもそれとは違うなという結論に辿り着いたんです。
中心が仕事になっている感覚
その居心地の悪さの正体は、
すべての中心が仕事になっていることでした。
私の場合、仕事はhattoという活動になるのですが、
本来なら「私」という個人が中心にあって、
その輪の中にhattoという役割もあり、
母や妻という役割も入っているのが自然な形かなと思います。
それが今は、hattoという輪の中に
母や妻という役割があって、
私個人は半分外に放り出されているような感覚がありました。
もっと言うと、その中心がhattoというよりも、
「hattoの発信」が全ての中心になっているように感じていたんです。
すべてを発信に繋げてしまう
具体的にどういうことかというと、
ふと出会った心に残る風景を
以前なら感性に任せて好きに撮っていたのが、
こういうふうに撮った方がストーリーズに使えそうだな
と考えるようになっていました。
本を読んでいても、この表現はわかりやすいから
応用してフィードで使えるんじゃないか、と思う。
子育ての中での気づきですら、この気持ちやこの出来事を
リールのテーマにできるかもしれないと考えてしまう。
私のメインの発信はInstagramなので、
ストーリーズ、フィード、リールにどうつなげるか、
どう活かすかという思考になっていました。
「常にアンテナを張っている」とも言えるのですが、
居心地の悪さの原因はきっとこれだなと思いました。
感情を処理しないまま変換してしまう
ある出来事を発信につなげること自体は
悪いことではないと思います。
私の場合、何がよくなかったかというと、
ちゃんとその感情を処理しないまま変換してしまったこと、でした。
芸術作品を見て、ここが素敵だなと思った感情を、
自分で咀嚼せずにすぐ発信に切り替えてしまう。
自分の中に浸透する前に、
hattoという役割に、hattoの発信というものに
感情を奪われてしまう感じです。
自分のものになる前に明け渡してしまったような。
ずっとそれを続けてきたなと思います。
これからどうしていくか
この結論に至るまで、すごく時間をかけて考えました。
どう解消しようかと考えたとき、
一番簡単な方法は発信をやめてしまうことだと思います。
でもそういうわけにはいきません。
hattoの活動にSNSは必要だし、
hattoという仕事も信念を持ってやっているし、
これからも続けていきたいと思っています。
なので、今は少し距離を置こうかなと思っています。
自分自身を真ん中に据え直す、
ということをしたいなと。
投稿数は減らすのですが、
代わりにライブを始めたり、
リールを減らしてフィードを増やしたり、
いろいろ試行錯誤していこうと思っています。

