2025/11/12 18:47
片付けと手放すこと、その本当の意味について
最近、片付けに関する話がよく耳に入ってきます。
夫に何気なくそんな話をしたら、夫の方も全く別のところから同じような話を聞いていたそうで、これはもう片付けについて考えるタイミングなのかもしれないと感じました。
私は物をあまり捨てられないタイプで、特に思い出の品になるとなかなか手放せません。
以前、断捨離がブームになった時に思い切っていろんなものを処分して、その時はすごくスッキリした気持ちになったんですが、後から「あれ、捨てなければよかったな」と後悔したものもありました。
今日は、その時の後悔の正体と、捨てる、手放すということの意味について考えてみました。
物が纏う思い出の重さ
最近聞いたある言葉が、とても印象に残っています。
「物は思い出をまとっていて、
放置すると無意識のうちに心の負担になってくる」
この言葉を聞いた時、感覚的にすごく分かる気がしました。
思い出の品だから捨てられないと言って、今は使っていない、おそらくこれからも使うことはないであろうものを身の回りに置いておく。
すると、その物がまとっている思い出が、今現在の自分を圧迫してくる感じがするんです。
たとえそれが良い思い出であったとしても、その物を通じて過去に縛られているような、過去の思い出とずっと手をつないでいるような状態で前に進みにくい。
そんな感覚があります。
思い出をまとったものが増えると、その分だけ「今の自分」の居場所が狭くなっていくような気がします。
だから片付けというのは、物理的に物を減らすということだけじゃなくて、「今の自分」がもっと生きやすくなるための作業なのかもしれません。
捨てられない理由
思い出の品をなかなか捨てられないのは、思い出の品を捨てることが、イコール思い出を大切にしていないことになるんじゃないか。
無意識にそういう考えが自分の中にあるからなのかなと思います。
でもよくよく考えてみると、自分の足枷になるような、今の居場所が居心地悪くなるような感覚について考えてみた時に、気づいたことがあります。
「思い出の品を捨てることは、思い出を大切にしていない」という思い込みと同時に、「思い出の品を残しておくことは、思い出を大切にしている」という思い込みもあるなと。
思い出の物を残しておくということは、本当に思い出を大切にしていることになるのか?そうではなくて、もしかしたら、その物に思い出を縛り付けておかないと保てない、思い出自体を信じられていないということなのかもしれません。
だとしたら、捨てられないから置いておくという消極的な選択は、あまり良くない気がします。
やっぱり手放していくべきなんだろうと思うんです。
手放すことの本当の意味
手放すということが、思い出を切り捨てる、過去を切り捨てるということではないとしたら、それはどういうことなんだろう。
私が考えたのは、過去を通ってきた自分の先に、今の自分を主役に置き直すということなのかなと思いました。
切り離すとか切り捨てるというよりも、区切りをつける、完了させるという感じ。
以前の断捨離で後悔したのは、このプロセスを経ていなかったからだと、今では思います。
完了させたわけじゃなく、ちゃんと考えもせずに切り捨ててしまった。
だから、向き合わなかったことへの後悔が残っていたんだろうなと思います。
演じていた自分
最近はミニマルな暮らしというのが、なんとなくおしゃれで良いもののように見えて、私も無意識にそう思っていました。
自分もそうありたいと思って、断捨離する自分、ちゃんと物を捨てられる自分を演じていたんだろうなと思います。だから、ちゃんとしたプロセスも経ずに切り捨てていってしまった。
でも本当の自分は、「物を通して」誰かとの思い出や、これまでの時間を大切にしてきたんです。
そういう気持ちをないがしろに、置き去りにした時に、物じゃなくて、それを大事に扱えなかった自分に対して後悔したんだろうなと思います。
完了させること
物を処分する、手放すということは、完了させることなんだと思います。
未完のまま抱えている記憶をちゃんと終わらせて次に進む。
捨てる、切り捨てるじゃなくて、区切りをつけるというのが、私の中で納得のいく片付けなんじゃないかなと思いました。
だんだんと年末が近づいてきていますが、皆さんはお家の片付けや掃除の準備をされていますか。
私は最近、自宅で1日1箇所だけちょっときれいにするというのをやってみています。

