hatto

2025/10/01 14:38

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9万回って意外と少ない

最近知ったんですが、人間が一生のうちにとる食事って9万回くらいらしいんです。
1日3回で80歳まで生きた場合の計算だそう。
この話を聞いたとき、なんだか妙にドキッとしました。
だって、これまで何十年も生きてきて、数えきれないほどの食事をして、これからもしていくのに「意外と数えられるほどしかないんだ」と思いました。なんとなくもっと途方もない数な気がしていた食事の回数が、実はしっかり有限で、しかも思ったより少ない‥という衝撃でした。

一人食べる、誰かと食べる

普段の食事を思い返してみると、一人で食べるときと誰かと食べるときで、明らかに違いがあることに気づきます。
一人で食事するとき、私は濃い味のものばかり選んでしまいます。
これはたぶん、食事が「味わうもの」ではなくて「とりあえず体に入れておくもの」になってるからだと思います。
いわば、食事という名の作業。
だから手っ取り早く満足感が得られる、わかりやすい味を求めてしまうのかなと思います。

ところが、気を使わない相手と一緒に食事をするとき。
特に夫や息子と食べるときは、驚くほど味覚が敏感になります。
「あ、このお味噌汁、いつもよりちょっと塩気強いかも」とか「今日のコーヒー、前回より酸味がある気がする」とか。
一人で食べてるときには全然気づかなかった些細な違いを、自然とキャッチできてしまう。
まるで舌がパワーアップしたみたいな感覚です。

緊張すると味がわからなくなる、あの現象

この違い、科学的にちゃんと説明がつくそうです。
緊張してるときに「何を食べても味がしない」「食べた気がしない」ということ、よくありますよね。
あれは、交感神経が優位になって、脳が「今は味覚パワーをつかわなくてもいいよ」と指令を出してるからなんだそうです。
つまり、味覚がちゃんと働いてるときは、それだけリラックスできてる証拠。
安心して食事しているから、舌も本来の力を発揮できるのです。
おもしろいなぁ、体って正直だなぁ、と思います。

じゃあ私は、今まで何回ちゃんと味わって食べたんだろう。
9万回という数字を前にして、ふと考えました。
私は今まで何万回くらい食事してきたんだろう。
年齢的に考えると、もう4万回以上は食べてる計算。
人生の食事の半分近くが終わってる。
その中で、本当に心から「おいしい」って思いながら食べた回数はどのくらいあるんだろう。
正直、そんなに多くない気がします。
バタバタしながら流し込んだ朝食、スマホ見ながらの昼食、疲れて味もよくわからないまま食べた夕食。
そんな「ただ摂取しただけ」の食事、結構多かった気がします。

結局「何を」より「誰と」が大事

この気づきから思ったのは、食事は「何を食べたか」より「誰とどんな風に食べたか」の方が重要なんじゃないかということ。
リラックスして食べられる環境や、一緒に過ごす人の存在。これが食事を本当に豊かにしてくれる要素なのかもしれません。

特に子育て中の今、この視点はグッと響きます。
息子の9万回カウントも既にスタートしていて、その中で私と一緒に食べられる回数なんて、本当に限られています。
今は毎日一緒に食べてるけど、息子が成長して独立したら、家族揃って食卓を囲む機会なんて年に数回。
そう考えると、今日の何気ない夕食も、実はめちゃくちゃ贅沢な時間なんですよね。

残りの食事を大切にするには

9万回という有限の食事を前に、じゃあこれからどうしよう、と考えてみました。
まずは、食事の時間をもう少し大切にしてみる。
大切な人と一緒に食事する時間を意識的に増やす。
忙しさを理由に家族との食事をおろそかにしがちだけど、その一食一食が実はかけがえのない時間だということを忘れないようにしたい。

結局のところ、9万回という数字が教えてくれたのは、食事の一回一回がいかに貴重かということ。
今日の朝食も、昼食も、夕食も、9万回という限りある食事のうちの大切な1回。
だったら、その時間をできるだけ心から味わって、楽しんで過ごしたいなあと思います。