2025/09/19 15:50
「言語化が大事」という言葉への引っかかり
「言語化が大事」と言われて久しいですが
確かにそうだと思いながらも
なんとなく引っかかることがあったので
その正体について考えてみました。
ビジネスやSNSの世界でよく言われる言語化は、
「わかりやすく」「論理的に」がキーワードです。
いかにこちらが意図した通りに相手に伝わるか、
どれだけ相手が理解してくれるかが重要視されます。
SNSで感情を伝える場面でも、
ある程度ゴールを決めて
取り組むことが多いかなと思います。
「相手にこう思ってもらいたい」
「自分の感情をこんな風に受け取ってもらいたい」
という目的があって、
そのためにはどんな言葉を選ぶべきか、
どんな順序で話すべきかを考える。
それはとても大事で必要なことだと思います。
でも、私の中にはずっと「なんか違う気がする」
というモヤモヤがありました。
どこか100%乗り切れない、
気が進まない感覚がありました。
私が憧れる言語化
そのビジネス的な言語化を一旦置いて考えてみると、
私自身が「言語化が上手い」と感じるのは、
実は全く違うものでした。
それは純文学的な文章。
わかりにくいかもしれないけど、
その人の言葉で書かれたもの。
相手がどう受け取るかはわからない。
100人いたら100通りの受け取り方を
されるかもしれないけど、
その人の中から出てきた言葉を使って、
感情や心の動き、情景を描写する。
そんな言語化に、私はずっと憧れていました。
誰かに読んでもらうことが前提ではなく、
その人の内側から絞り出してきたような文章。
そういう言葉を紡げる人が、私にとっての憧れでした。
二つの言語化を混同していた
なぜ言語化にもやもやを抱えていたのか。
それは、この二つの言語化を明確に分けて
捉えられていなかったからだと思います。
相手に伝えるための言語化
その人の中から出てきた、自分を表現するための言語化
自分が文章を書くときにも、
「伝わるように書かなくちゃ」
「これって相手はどう捉えるんだろう」
ということを無意識に考えていました。
自分の中から出てきた言葉を書いていても、
「でもこれじゃ伝わらないかも」
「意味ないかも」と迷ってしまう。
結果として、どちらにも振り切れずに、
どっちつかずの状態になっていました。
自分らしい表現の探求
私は商品を作って販売する仕事をしているし、
SNSでの発信もしています。
だからセールスライティングの本を
読んだりもするのですが、
書くことは好きなのに、なぜか全然気分が乗らない。
やる気が起きませんでした。
それが、自分が書きたいと思うもの、
憧れているものとは根本的に
別のものだったからなんだと気づきました。
でも、じゃあどう文章と向き合っていくか。
私は小説家でもエッセイストでもない。
純文学のような文章への憧れはあるけど、
それで生きていきたいわけでもない。
だから、この二つの言語化の
いいとこ取りができたら、
自分らしい文章にできるんじゃないかなぁと
思ったりしています。
理想の文章への道筋
相手に伝えるための言葉と、
自分の中から出てきた表現。
その間のいいところだけを
取れたらいいなと思うんです。
自分の言葉で自分の感情も
ちゃんと丁寧にすくい取りながら、
でもそれを誰かに届く形にもする。
難しいだろうけれど、そんな文章が書けたら、
自分の中ではすごく納得のいくものに
なるんじゃないかなと感じています。
言語化に正解はないけど、
少なくとも自分が感じていた
違和感の正体がわかったことで、
これからの方向性が見えた気がします。